しかし全然かすりもしない値段で落札されていった。

コレはいったいどういう鉄瓶だろうと俄然興味が湧いてきて、調べていったらブルーノ・タウトに行き着いた。


建築家ブルーノ・タウトは1933年(昭和8年)から3年半ほど日本に滞在したそうだ。

彼はドイツ人なのにそれまでの活動からヒトラー政権に共産主義者と疑われ嫌気がさしてというか日本人の弟子の紹介で亡命者のように来日したそうだ。

この時は、本来の建築家の仕事が少ししか出来なかったようだが、様々な日本文化を体験しそれに基づいた本をたくさん書いた。

そんな中の一冊「日本文化私観」森儁郎 訳(原名 欧羅人の眼で見た - ニッポンの芸術)の「工芸」の章の「鉄」に鉄瓶の記述がある。


この本の中盤以降にあたりには、京都韻文堂の精緻な鉄瓶と共に盛岡の鉄瓶が取り上げられていて、一部引用する。


「この硬質の京都の鉄とは反対に北日本の盛岡には、銀や金の挿入の許されない軟質の鉄が製作されている。その代わりに、これは非常に饒(ゆたか)な様々の形態があって、中には例えば小泉という親方の作る、あの円形と六角の輝かしい配合に見られるような非常に卓出したものであるとか、また高橋、あるいは及川という親方のもとで見たことがあるような様々の茶色や灰色の黒い色調で、表面を見事に加工したものがあるのである。」


この中の1930年代の小泉といえば小泉仁左衛門第8代清信(1874〜1952)か、小泉仁左衛門第9代清一(1905〜1980)にあたる。

第8代だとすれば当時60歳くらいになるし、第9代だとすれば当時28歳くらいで、経歴を見ると「1930年(昭和5年),東京美術学校鋳造科を卒業、その後郷里に戻り釜師となる。」と盛岡市の紹介サイトにあり、まだこの当時は襲名していなかったのではないかと思われるのでタウトの本で取り上げられている亀甲鉄瓶は第8代の作品と考えられる。

「日本文化私観」から


この本の当時の写真だと不鮮明なのだが、実はこの鉄瓶は驚くことに現在も造られていて「御釜屋」第10代小泉仁左衛門工房から販売されている。

地肌を筆で砂の混じった粘土で処理をしたり虫喰いなどの処理がほどこされ古びた感じの時間を表現をしていて素敵だ。


そういえばかつてNHKの「美の壺」という番組で南部鉄瓶を扱ったことがあり、もう一度見直してみたら、番組の冒頭と最後にまさにこの鉄瓶が使われていた。

 

そんな中で今月14日にオークションに出品されていたのが三厳堂のこの亀甲型鉄瓶。

梨地肌で虫喰いの細工は無くて黒ではなく茶色の仕上げで雰囲気も違うが、タウトの本では円形と六角形の形のことを言及している。

正にこの形の事を書いている。

三厳堂は明治9年の創業で小泉仁左衛門は360年以上の歴史がある。

亀甲型鉄瓶はどういった経緯で三厳堂で作られたのかな。



・・・仁左衛門釜は現代でも新しく作る鉄瓶にあえて古びた景色をつけていて、「使われて育ててくれるのが鉄瓶だと思っている。・・・あとの残りの分はお客様が使って完成品にしてもらえれば・・・」とは小泉仁左衛門11代を継ぐであろう小泉岳広さんの言葉。

使い続けて行く生活の中ので朽ちて行く景色というか美を求める、そしてそれを愉しむ遊びが面白い。


~ん・・・いつか是非。