Mac的生活の日々
Mac的生活の日々
百年目の出会い
何となく見ていた鉄瓶のオークション、あられ文様が繊細でとてもきれいだったのでちょっといいかも、とウォッチリストに登録しておいた。
...だけど鉄瓶は7口(こう)も持っているし、もういいかなと、早めに寝てしまった。
その夜10時過ぎ、急に目が覚めて用を済ませて、そういえばいくらで終わったのかなと例のオークションを見たらまだ終わってなくて、それじゃとりあえずと、このくらいだったら嬉しいなという価格を入れてそのまままた寝入った。
半ば夢の中での出来事だったが、翌朝そのオークションはぼくの思った価格でほぼそのまま落札されていた。
この鉄瓶は盛岡の釜師 金澤千代吉(1882/M15-1960/S35)の40代半ば近くの作品と思われる。
蓋の裏には第十銀行創立五十年記念とある。
第十銀行は、調べると山梨中央銀行の前身の一つである明治期の銀行。
創立50年には『株式会社第十銀行創立五十年記念誌』が発行され、この銀行にも渋沢栄一(1840-1931)が創業時(1874年)から関わりがあり、この記念誌(1927年2月)の題字は晩年の渋沢栄一が揮毫したとの事。
今回の鉄瓶もその時の事業の一環として作られたものらしい。
昭和金融恐慌は、この一ヶ月後に発生した。
その後の激動の時代の直前に製作され、令和の今日まで、100年近く誰もこの鉄瓶は使わずにずっと長い間、箱の中にいた。(内部を見るとお湯を沸かして使った形跡がない)
もしかして渋沢栄一もこの鉄瓶を記念品としてもらって使わないまま仕舞われていたのかも?
などと妄想してしまう (^ ^;)
...たまたま昨年から鉄瓶でお湯を沸かす楽しさに目覚めただけでそれほど深く考えていなかったけれど、もしかしたらぼくはこの鉄瓶に呼ばれた?
だって、いったんは諦めて寝ちゃったんだけれど、突然目が覚めて夢の中で応札した感じで、二日後にはこの鉄瓶はぼくのところにやってきたんだ。
金澤千代吉は、盛岡市のWebサイトによると「幼いころから盛岡藩御用鋳物師でもあった有坂家に弟子入りし,鉄器製作の技術を習得した。
「業界の世話役,相談役として後進の訓育指導に当るなど,当市産業発展振興に寄与したる功績極めて顕著である。」
「1955年(昭和30年),金澤は74歳の時に柴内魁三らとともに第1回盛岡市市勢振興功労者に選ばれた。」とあった。
さて、この鉄瓶には、100年前のものと思われないようなむしろ最近刷り上がったばかりのような状態の栞が付属している。
それには、製品画像と価格表が印刷されていて当時の雰囲気が空気として伝わってくる。
2021年4月4日 日曜日
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