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明治15年9月15日(1882)0才金澤千代吉 盛岡に生まれる

明治29年 (1896)13才?13才ごろ22代有坂春次郎M2-S20

 ...閑話休題 それにしても明治から昭和にかけて南部鉄瓶に多大な貢献をした一人であるこの有坂春次郎の生年と没年を調べようとGoogleで検索をしたら日本のサイトではなくて全部が中国語のサイトでしかヒットしないのはとても残念。大丈夫か、南部鉄瓶。


ちなみに「南部鉄器 その美と技」(1990年)の148ページに有坂春次郎の生年と没年が「(明治二〜明治二七)」とあり25才で亡くなってしまっている。千代吉との春次郎の年齢差は13才なので千代吉が、弟子入りしたときは、春次郎は26才なのでこの148ページの記述は、間違いかな?


先人たちの立派な仕事に対して恐縮です。

しかし 南部鉄器を語るときこの本はバイブルであることには変わりはなく、よくぞこの本を残して頂いたという思いは全く変わりはなく感謝しかありません...


に弟子入りし24代有坂安太郎M42-S58まで3代に仕えた

「有坂」は昭和50年代に鋳物師としての歴史を閉じた(出典:もりおか歴史文化館企画展図録「- 南部鉄器ー時代を超えた鐡くろがねの美 - 全66ページによる)


明治35年3月15日 (1902)19才盛岡物産品評会に於いて銅賞受領

明治41年5月10日 (1908)25才奥羽総合共進会に於いて銅賞受領

明治42年3月27日 (1909)26才岩手県物産共進会に於いて銀賞受領

明治43年11月 (1910)28才 群馬県主催一府14県総合共進会に於いて宮内省御買上の栄を賜ふ

明治43年(1910)28才?日英博覧会に於いて一等賞金杯受領

明治44年6月19日 (1911)28才第二十六回東京彫刻競技会に於いて褒状一等受領

大正2年9月25日(1913) 31才 第二十七回東京彫刻競技会に於いて褒状受領

大正3年5月5日(1914)31才岩手県物産共進会に於いて銀賞受領

大正3年11月5日(1914) 32才 第五十二回日本美術展覧会に於いて銀賞受領 

大正4年2月11日(1915) 32才 盛岡市長より選賞状受く其の要旨左の如し

(オリジナルは縦書きだった)

資性温厚忠実黽勉(べんびん)師家ヲ助ケテ事業ノ成績ヲ挙ゲ屢々(しばしば)精良ノ作品ヲ出シテ優賞ヲ受領スト雖(いえども)未ダ曾テ(いまだかつて)誇色アラズ眞ニ斯界(しかい/その分野)ノ模範タリ仍(よ)ッテ賞品ヲ授与シテ以テ之ヲ選賞ス云々

大正4年9月1日(1915)32才御大典の際鉄瓶研究会より依頼を受け献上品の制作を写す

大正4年11月3日(1915) 33才 大分県物産共進会に於いて銀賞受領

大正4年11月25日(1915) 33才 熊本県主催大典記念国産に於いて金賞受領

大正5年3月7日(1916) 33才 第八回東京鋳金展覧会に於いて銅賞受領

大正5年4月 (1916) 32才 山形県主催奥羽総合共進会に於いて宮内省御買上の栄を賜ふ

大正5年4月21日(1916) 33才 第五十四回日本美術展覧会に於いて銅賞受領

大正5年9月15日(1916) 34才 第二十九回東京彫刻競技会に於いて褒状一等受領

大正5年11月26日 (1916)34才山形県主催奥羽総合共進会に於いて銀賞受領

大正6年4月27日(1917)34才第九回東京鋳金展覧会に於いて銅賞受領

大正6年10月12日 (1917)35才第五十七回日本美術展覧会に於いて銅賞受領

大正7年4月4日 (1918)35才第十一回東京鋳金展覧会に於いて銅賞受領

大正7年5月11日(1918)35才長野県主催全国工芸共進会に於いて銅賞受領

大正7年6月 (1918)34才岩手県物産館に於いて 東宮殿下行啓の際御買上の栄を賜ふ

大正7年10月21日 (1918)36才第六回農務省主催工芸展覧会に於いて褒状受領 

大正8年3月14日(1919)36才岩手県知事より表彰状を受く其の要旨左の如し

(オリジナルは縦書きだった)

資性着実一日モソノ研鑽ヲ怠ルコトナク製作品ノ改善ニ力ヲ傾ケ常ニ後進ノ指導訓育ニ餘念(よねん)ナキハ洵(まこと)ニ斯界の模範タリ仍(よ)テ徽章(きしょう)並ビニ金若干ヲ授与シ之ヲ表彰ス云々


大正8年4月18日(1919)36才第十一二回東京鋳金展覧会に於いて褒状受領 

大正8年10月(1919)37才第七回農務省主催工芸展覧会に於いて宮内省御買上の栄を賜ふ

大正8年10月6日(1919)37才第七回農務省主催工芸展覧会に於いて褒状受領 

大正8年10月25日 (1919)37才第六十一回日本美術展覧会に於いて褒状受領 

大正9年9月(1920)37才京都市主催全国勧業博覧会に於いて宮内省御買上の栄を賜ふ

大正9年9月3日 (1920)37才京都市主催内外産業博覧会に於いて美術銅賞受領 

大正9年9月12日(1920)37才岩手県主催全国金工品共進会に於いて技術銀賞受領

大正10年5月3日(1921)38才京都市主催内外産業博覧会に於いて銅賞受領 

大正11年5月13日 (1922)39才広島県主催中国四国生産品共進会に於いて銀賞受領

大正11年7月10日 (1922)39才東京都主催平和記念博覧会に於いて銀賞受領

大正11年11月3日 (1922)40才第四十九回日本美術展覧会に於いて褒状受領 

大正12年5月5日(1923)40才新舞鶴港開港記念博覧会に於いて銅賞受領 

大正13年5月8日(1924)41才第六十五回日本美術展覧会に於いて銅賞受領

大正13年10月(1924)42才南部鉄瓶同行組合評議員・日本美術協会会員 鶴齋 金澤千代吉

昭和2年2月 (1927)43才(株)第十銀行創立五十周年記念として富士型小霰文様鉄瓶(茶)が関係者に配布された


昭和5年(1930)47才?ベルギー.リェージュ万国博覧会にてグランプリ

昭和18年(1943)  60才? 特に優秀な技術保存者の16名の一人となり年間20個以内の製造許可

昭和30年11月(1955) 72才 盛岡市勢振興功労者となる 

昭和35年(1960) 77才?逝去月日はいまのところ不明 

菩提寺は盛岡市大慈寺町 盛香山永泉寺(盛岡市先人記念館のワークショップ履歴から)


とりあえずここまで調べることができた。


鉄瓶の職人は、音楽家のようにコンクールなどで入賞を重ね実績を積むやり方は似ているが、消耗しやすい生活日用品のため無くなってしまいそうだが、材質が鉄だけに丈夫さでも生き残ってきた。

情報取得は、幸い今だと本やオークションやショップのネット情報が頼りになる。

それにしてももっと明治初期から昭和末期あたり或いは現在までの南部鉄瓶のキラ星の先人たちの体系的なきちんと確立された情報が欲しい。

それと、作品の画像のアーカーイブとその解説もあると生活が豊かに楽しめる。

今のうちにもっと残さなくてはいけないのではないだろうか。

というのが今回の感想。


コーヒーを淹れ終わって少し経った時に鉄瓶を両手で包み込んだ時の温もり感がとても好き。


ところで金澤千代吉の「鶴齋」という号なのだが、今頃になって気付いてあれなんだけれど、名前の「千代」から「鶴は千年、亀は万年」という諺から「鶴」の字を使ったんだ。

いつまでも伝えられたらいいな。

 

伝統的な南部型小霰紋鉄瓶