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【10/30/2004】Saturday

今思うと二週間前にやったマッサージチェアーが事の始まりだったと思う。近くの電器店で用事の後にずっと立っていて疲れていた時、40万もする気持ちのよさそうなマッサージチェアーを店員の勧めのままにやってみたらなかなか快適だった。

だが途中で結構大きな力で腰を伸ばされて「う!ちょっとヤバイかも」。その時は何ともないように思ったのだが翌々日にちょっと危なそうな徴候が現れた。その晩寝ていて大きく伸びたときにこむらかえりがおきたのだ。そうこうしているうちにとうとう日曜日の朝(24日)、書類を持ってちょっと立ち上がった時についにその時がやってきてしまったのだ。「ん!」・・・ぎっくり腰。それからは三日間ほど身動きがとれず寝返りも慎重にしなければならず、くしゃみをしてもその衝撃が身体を貫き、トイレもしかるべきところに手が届かず紙を使えない。それよりもトイレまでたどり着くのも這って行ってやっと。その後はその日の大事業となった。夜は夜で痛みで熟睡も出来ず寝返りもままならない。翌朝25日に入っていた仕事の予約をすっかりあきらめてクライアントに事情をメールで連絡し延期をお願いしたのだった。

やっと五日目(28日)からは何とか動き出している。


太陽の温かさは心地よく温かく、奥さんの笑顔はいとおしい。今の健康に感謝!

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【10/19/2004】Tuesday

車用のiPod20Gの設置を都合で変更しなければならずいろいろ試してみたのだがやっと落ち着いた。

今度の設置場所はカップホルダーしか考えられずそこにピッタリとフィットする丸い材料を探すことから始まったのだが最初はカーワックスを塗るためのスポンジを切り抜いたのだがグラツキがあり使いにくい。やっぱりコルク素材かなと思い近所のDIY店を探したのだがなかなか適当なものが見つからない。困ったときのGoogle頼みで「コルクブロック」で検索をした。
楽天にコルクと自転車を扱っている大阪のお店をがヒットし、ガラスビン用の大きめの丸いコルク栓を早速注文してみた。

それを使ったのが以下の工作なのだが、概ね結果に満足している。

ビン用の丸いコルク栓にiPod用のコルク台を100円ショップのスポンジ両面テープで貼り付けだけ。

角度調整用のコルクブロックをサンドイッチしている。

見かけはイマイチだがグラツキは無い。iPodも下の部分を両面テープで固定している。

運転席から見るとこんな感じ。

う〜ん!、フィットだあ(^^)。

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【10/10/2004】Sunday 文楽との出会い

...というわけで、8日金曜日に奥さんのお供で岩手県民会館で文楽協会の十月地方公演を見物してきた。演目は夜の部で「桂川連理の柵」(かつらがわれんりのさく)から下の巻の後半の「帯屋の段」それと日高川入相花王(ひたかみがわいりあいざくら)から「渡し場の段」の二幕。

文楽は、初体験でというか、どうもじめじめしたお話しは、ちょっと苦手で...あんまり期待しないでどちらかというと運転手としてしかたなくという...(^^;

で、どうだったかというと...
おもしろい!食わず嫌いだった。

以下自分の理解のために「帯屋の段」の解説本とネット検索からの写しなどを記述しておく。


「帯屋の段」の登場人物は帯屋の養子で主の長右衛門とお絹の夫婦、その店の隠居の帯屋繁斎と元下女だった後妻おとせ、その実子の儀兵衛、そして隣の信濃屋の娘お半と丁稚の長吉の計7人。

長右衛門
お絹
繁斎
おとせ
儀兵衛
お半
長吉

長右衛門は捨て子で信濃屋治兵衛に拾われて五才まで養育されその後、隣の帯屋繁斎の養子となり商売を盛りたて繁斎の隠居後は妻お絹と店を守っている。帯屋といっても質屋のようなこともしており長右衛門は大名から預かった脇差を蔵屋敷に届けたりもしている。

「帯屋の段」の前段までの部分。
長右衛門は、育ての親、治兵衛の臨終の際に治兵衛の娘お半の養育を託され24才年下のお半の親代わりとなってきた。長右衛門が38才、お半が14歳の時にそれぞれが、偶然旅先の宿で出会った。夜中に信濃屋の丁稚の長吉に言い寄られたお半が長右衛門に助けを求めたのだが、つい子供だと思ってお半を蒲団に入れてやったら...思いのほか大人で。! つい過ちを犯してしまった。

数ヶ月後長右衛門は、大恩人の娘でしかも親代わりの身でありながら犯した罪に悩む一方、お半は長右衛門をひたすら恋慕い妊娠したことを明かした。

で、いよいよ「帯屋の段」。
長右衛門は大名から預かった脇差を蔵屋敷に届けに行った。留守中に隠居した帯屋繁斎の後妻おとせは、実子の儀兵衛をもりたてようとし、長右衛門を憎んでいて、あわよくば息子と共謀し帯屋を乗っ取ろうとしているのだが、今日も一昨日受け取ったはずの百両が見当たらないことを理由にさらに店のお金五十両を盗みその罪を長右衛門になすりつけようとした。
長右衛門が戻り金の詮議が始まったのだが、長右衛門は百両については口を濁し五十両の紛失については驚いた。長右衛門をさらに追いつめようと弟儀兵衛が読み上げたのは「長様」あてのお半の恋文だった。長右衛門の味方であった養父繁斎もさすがこれには擁護ができなかった。暖簾に泥を塗ったというおとせ親子の非難に長右衛門は胸がつぶれる思いであった。

しかし、事前に儀兵衛のたくらみを知っていた長右衛門の妻お絹はすでに夫を救うべく手筈を整えていて、お半に惚れる丁稚の長吉にお半と関係したことにすれば添い遂げさせてやると言い含めてあった。はな垂れの丁稚がお半の相手と聞かされた儀兵衛は大笑い。しかし長吉がお半との関係を認め「長様」は自分だといいはったので折れざるを得なかった。

で、再度おとせ親子による金の詮索が始まったのだが、ほうきで殴りつけたりして酷いことになって、怒りだしたお絹を制して長右衛門はじっと耐えていた。
ついに隠居の繁斎が亭主がどう金を使おうとお前らの知ったことではない。文句があるならまた下女に戻すぞ!と親子を叱りつけ、二人は不満げに去っていった。

さて、長右衛門の悩みを察する隠居の帯屋繁斎と妻お絹の不安は自害されることなのだが、繁斎は、恥を忍んでも生きて欲しい、お絹は、お半との関係もかまわないのでずっと一緒にいて欲しいとの嘆くのだった。しかし二人の言葉はますます長右衛門の気を重くするものだった。百両は人助けに使い、五十両を盗んだのは察しがついて言い訳は立つのだが、お半とのことは何ともならない。自責と後悔で苦しみ、妻にはお半とは切れたと安心させたものの長右衛門は死を覚悟していたのだった。というのもお半の妊娠に加え蔵屋敷へ届けた脇差がいつの間にか別物に取り換えられておりすっかり行き詰まっていたのだ。

妻のお絹に慰められて一人蒲団をかぶりひそかに涙にくれる長右衛門のところにお半が現れ、この恋は諦めたと立ち去ったのだが、桂川に身を投げるとの遺書が残されていた。十五年前に桂川で芸子岸野と心中しようとして自分一人逃げ帰った過去のある長右衛門は、その岸野がお半に生まれ変わり桂川へ呼ぶのかと感じ、一緒に死のうと後を追うのだった。


というストーリー。最後の部分は、ぼくはちょっとその場では聴き取れてはいなかった。ほんとは、こういった内容を知ったうえで出かけるともうちょっと愉しめたと思うのだが。

しかしこういった内容を映画などで演じられたらちょっと我慢できなくて見続けるのはつらい。きっと途中で席を立ったかもしれない。ところが文楽は、人形、語り、太棹など高度に様式化されいて器楽で演じられているようにも思え、ちょうどベートーヴェンの室内楽を聴いているようにも感じられた。

「ぼくはラテンなので、あれだけできた女房ならきっと許してくれる。ジェーンもいいけどメリーも好きと3人で仲よくすれば隣の店も一つにしてますます大きくなってハッピーエンド!」、「もしそうなったら相談に行くからね」とワケの解らないことを奥さんに言ったら軽くあしらわれた(^^ゞ

それにしてもひとりの人形に3人付いていて5人の人形の登場の時は15人も男がぞろぞろいるのだが物語に慣れると気にならなくなり、むしろ人形の表情に見とれ、またその仕草にドギマギしたりしたのだった。
反対に太夫はたった一人で7人の声色を使い分け太棹と一緒に全体の空気をつかさどる超人的な芸。


で、今回活躍したのはビノキュラー。

上のは、どちらも同じ7倍なのだが右側の50ミリのは明るくて使いやすいのだが重量が1キロ以上もあり今回はパス。

これはニコンのmikron。7×15で135グラム。口径が小さいので使いかたにコツがいる。

今回の席は前から9列目の中央付近でかなりよい席だったのだが、それでもクローズアップしてみると上の写真くらい以上の大きさに見えて細かな仕草、表情がとてもよく見ることができた。
それと道化役の丁稚の長吉のはな垂れが延びたり縮んだりの仕掛けもあって笑わせるのだが肉眼ではちょっと分かりにくいのだがこれがあるとバッチリ。
鼻水が垂れるのを見てどうするんだと言えなくもないがそこまで細かい細工をして演出をしている。一つの人形に3人がかりで細かなディテールの積み重ねで深い味わいを出して演じられているのが良く解った。

 

【10/4/2004】Monday

10月2日のAUGM 盛岡は盛況のうちに無事終了。またMacを通じて様々な出会いがあった。

特に印象に残ったのはやはり「MACお宝鑑定団」のDANBOさん。(じゃんけん大会の景品を集めていただいただけというわけじゃないよ)

MACお宝鑑定団」は毎日欠かさず訪れているサイトのひとつでしっかりぼくの生活の一部なのだが、現在のAppleとアップルとユーザーとベンダーとサードパーティの架け橋となっていて、これが個人のサイトで営まれているということは驚異的なこと。

最初は趣味的な部分から始まったこととは思うが、それにしても先のグループすべてを網羅してかつほぼ一日二回の更新。
DANBOさんの「MACお宝鑑定団」は、大げさではなくMacユーザーの羅針盤とも言える活動をなさっている。

さらに懇親会の席でご本人のご挨拶でAUGM の盛岡開催は、DANBOさんからのお声掛けから始まっていることを知った。すごすぎる!

お帰り間際に「毎日拝見しています。ありがとうございました。」や「一日何度も見ています」という声をかけたら「イヤー、それは見過ぎ!プレッシャーになるからそれは言わないで」とかおっしゃって はにかんでおられたが、DANBOさん本当に素晴らしいご活動です。ありがとうございました。

それから、委員長様、会長様はじめスタッフのみなさんお疲れさまでした。またやりましょう。

ひとりごと・・・温泉が付かないとちょっと物足りなかったような...(^_^;)

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会場の様子はこちら

暗いところで思ったタイミングでシャッターが落ちなくいし、ストロボを炊くと光が回りきれずで映りがイマイチ。
そろそろ新しいデジカメをなどと(^^ゞ

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【10/3/2004】Sunday

ぶどうの房から一粒つまんで口の中に。

秋だなあ。
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.Macのサイズが拡張されてiDiskのサイズが変更されてからこのメッセージがメインのMacを起動するたびに出てきてしまう。「サイズの変更中」って誰がいつ変更するかの説明が無くどうしたものか。

それで考えてみたのだが、ぼくは普段、iDiskのローカルコピーを作成していてサイトの更新は同期を手動で行うように設定している。結局ローカルコピーのサイズが小さいのでこのメッセージがでているのだろう。このローカルディスクはイメージファイルでサイズが100MBに固定されているはず。それでこのアラートがでると思うのだが。

というわけで、一旦システム環境設定の.Macの「iDiskのローカルコピーを作成する」のチェックボックスを外してから再度「iDiskのローカルコピーを作成する」をチェックしやりなおすことにした。

...ウーン、長い。二時間近くたっても三分の一くらいしか同期ができていない。乗りかかった船のでこのまま放っておこう。

結局5〜6時間後に同期が終了したメッセージが表示されその後、上記アラートは、出なくなった。もっと簡易な方法もあったのだろうか?


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