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【6/27/2006】Tuesday

たまたま偶然目にした李静訓というお姫さまの首飾りの美しさにに一目惚れして、遣隋使とか遣唐使という言葉くらいは聞いたことがあったという程度なのに、今月は「隋」の時代にどっぷり浸かってしまった

唐は300年も続いたのに隋はその直前の王朝でたった40年足らず(581-619)で滅びてしまった。そのまん中でわずか9歳で亡くなったお姫さま。1400年近く前のお話だがいまだ頭から消えない。


第五世代のiPodでは動画が扱えるのだがそのソースは、自分で変換などをしなければほとんど無いに等しい。おまけに変換をするにもずいぶんマシンのパワーが必要で一本用意するにも数時間どころか二日がかりでやったものさえある。ただ、最近はそういった変換ツールがユニバール・バイナリー化されたものが出始めた。こういったツールだとG4iBook1.42Ghzで十時間以上かかっていた三時間のオペラがIntel Mac miniでは二時間弱くらいで終了し五倍以上の威力。いまだロゼッタで動くものがほとんどでiBookの方が早かったりするアプリが多いのだがようやく新チップの威力が出始めた感じだ。
Power Macの時は、ホントに狼の皮を着た羊だったことを思うとこれからにちょっと期待を持ってしまう。

というわけで、先日アップルストアから I/O DATAの GV-1394TVM3という地上波チューナーを内蔵したコンバーターの紹介メールが来て「Intel Mac対応」と書かれてあり、まんまとその思惑に乗ってしまった。

地上波の品質はDVDに比べていまいちなのだけれどテープやHDDレコーダーのソースを変換をするにはとても良い感じだ。

ただこれで取り込むとものすごく大きいデータになるし、HDDもあんまり信用しすぎると後で痛い目に遭うし、というか昨日250GBのUSBインターフェースのヤツが認識しなくなり泣く泣くフォーマットした。変換後は早めにDVDに固定したほうがよさそうだ。

小さい画像を大きくして見るとアラが気になるのだが。その逆の場合だとたとえ3倍モードで録ったオペラでもiPodやカーナビで見る分にはそんなに気にならない。
しかしiPodの画面サイズがあと2〜3倍あるともっとうれしい。

これから出るであろうiPodの縦横比はハイビジョンと同様かもしれないので今はこれまでの3対4のサイズと両方作っているのだが、これもずいぶん手間がかかる。しかし期待の持てそうな噂系ニュースもありせっせと変換作業の日。

 

【6/20/2006】Tuesday

昨日、李静訓は「外祖母(隋・初代皇帝楊堅の娘)に育てられ、大業4年(608)に9歳で卒した。」と記述したのだが、この外祖母という意味をよく分からず書いていたことに気付き、早速調べてみた。
そうしたらどうも勘違いをしていて間違っていることに気付いた。

外祖母とは、母方の祖母ということであって、そうなると李静訓の母親(楊堅の長女の娘)と父親は、他に別いることになる。

分かったことを整理して図に書いてみた。

ウーン、こうなると思うんだが李静訓の両親の記述が見つからない?

 

【6/19/2006】Monday

今年は花粉の症状が出なくて良いなあ、と思っていたら一週間前に肺の裏側の奥の辺りが苦しくて、いよいよきたか、それとももしかしたら別の肺の病気かなあ、ずいぶん苦しいし変な感じで、もう先が長くないじゃないだろかと夜も深く眠れずに悩んでいた。仰向けになっても横向きに寝ても苦しい。どうしたんだろう今までに経験したことのない症状だと本気で心配になってきた。
ところが三日前にそういえば先週の月曜日(12日)に仕事で十数キロのレーザープリンターをひとりで持ち上げたっけ。腰をかばうように持ったのだが中途半端な姿勢だったので背骨に負荷がかかったんだ!と思い当たった。

というわけで、肺の中ではなくて背骨の椎間板ヘルニアになりかけなので、この場合、確実で簡単な治療法は、「安静にする」なのだ。
やっと昨日あたりから症状が消え、ヤレヤレという今日この頃。


ところで李静訓は結局誰の子供なの?

昨日で東北歴史博物館での「China 中国・美の十字路展」が終了した。閉会する前にもう一度李静訓の首飾りをと思っていたんだが残念。

それで、結局李静訓は誰の子なのかと考えていたのだが、そういえば会場で購入したカタログ本(280ページ弱)があったっけと引っ張り出した。そしたらこれまで調べた解説の中で一番詳しく記載されていた。それを抜き書きしてみた。

李静訓墓は、1975年に西安市西郊の玉祥門外で発見された石槨墓である。李静訓は、北周・宣帝の皇后であった外祖母(隋・初代皇帝楊堅の娘)に育てられ、大業4年(608)に9歳で卒した。その墓からは金器、銀器、玉器、宝石、ガラス器、青銅品、サザン朝ペルシアの銀貨、上質の青磁・白磁、各種東俑など、隋朝皇族の華麗な生活を物語る豪華な副葬品が数多く出土している。

 この作品は、さまざまな宝石と金を精緻に組み合わせたネックレスである。金糸や金粒を溶接し小粒の真珠をはめ込んだ珠に、金鎖を通して14個ずつつないで左右に配し、中央には赤色オパール、ラピスラズリ、真珠などをはめ込んだ円形や方形の板をつなぎ、さらに、その下にトルマリンと思われる青みがった宝石を釣り下げる。上の留金の部分にはめ込まれたラピスラズリには鹿の文様が彫り込まれている。隋の皇室に連なる少女の身を飾るに相応しい華麗な宝飾品である。中国製ではなくペルシアのなど西方で作られたと考えられる。(MT)

このカタログには苦労して合成したメトロポリタンミュージアムにあった首飾りの同じ写真ものっていた。全くどこ見てんだか (^^;

李静訓は、西暦608年に9歳で亡くなっている。生年はたぶん600年なので父親は、隋の二代目皇帝煬帝で彼が在位して4年後に北周 第四代 皇帝の皇后であった外祖母に育てられた娘がわずか9歳で卒したという事になる。

いまいち相関が不明なのでウィキペディアで調べたことを抜き書きしてみた。

宣帝(宇文贇、在位578年 - 580年)は北周 第四代 皇帝で579年、7歳の息子宇文衍に譲位。自分は天元皇帝と名乗り、天元皇后(楊皇后)・天皇后・天右皇后・天左皇后・天中大皇后の5人を立后し酒色に走り、その翌年に死去。

宇文闡(うぶんせん)は中国・北周の第五代皇帝(在位579年 - 581年)。宣帝の長男。僅か七歳であったため随国公に封じられていた外祖父の丞相(じょうじょう-早い話が現代の総理大臣のようなもの)・楊堅が朝政を輔弼(ほひつ)した。581年2月楊堅に皇位を簒奪され、隋が成立すると共に滅亡した。諡(おくりな-貴人の死後に生前の事績への評価に基づく名号)は静皇帝。

楊堅(よう けん、541年 - 604年、在位581年 - 604年)は、隋の初代皇帝。楊堅は長女を北周の第四代皇帝であった宣帝の后(五人の后のひとり)として娶わせ、自身は外戚として大いに権力を振るった。580年、宣帝が死んで楊堅の外孫に当たる静帝が即位すると、その摂政となって北周の実権を完全に掌握する。581年、静帝から禅譲させて皇帝に即位し、隋王朝を開いた。

煬帝(ようだい Yang-ti、569年 - 618年3月11日 在位604年 - 618年)は中国隋朝の二代目皇帝。楊堅の次男。諱は広。廟号は世宗。謚は明帝。煬帝とは唐王朝から贈られた謚である。

う〜ん・・・

宣帝の后で楊堅の長女である麗華は、何歳で没したか分からないけれど、後の静帝(宇文闡)を生んだのだが、静帝は、わずか7歳で即位し9歳で亡くなった。さらに、父親の息子の子供で育てた李静訓も同じく9歳で亡くしたことになる。(はっきりと書いている情報もなく憶測で書いたのだが、一人で奥さんが5人もある方がいらっしゃったり相関関係が複雑で間違っているかもしれないな。)

 

【6/4/2006】Sunday

李静訓(りせいくん Li Jingxun)の首飾りの部品構成

 李静訓の首飾りの構成がよく分かる大変素晴らしい写真がメトロポリタンミュージアムのサイトで公開されている
これを利用するとパーツごとに詳細に鑑賞ができる。ただしフラッシュで部分的に拡大して見られるようになっているために一度に全体を詳しく見渡すことができない。そこで二十数回の画面キャプションを合成して一枚の画像に再構成してみた。

こうしてみると手が込んで作られている様子がずいぶん具体的に分かり、改めて素敵だなあ。

さまざまな宝石が、一本の糸の上で一つの秩序の基に響き、歌いあう。
シルクロードで出会った東西の音楽・・・


 さて、全体を主要なパーツごとに四つの構成に展開をしてみた。

部品
内容

まず上部の部品であるが、止め金具と左右の部品それぞれにラピスラズリが埋め込まれている。止め金具には鹿の文様が彫り込まれている様子がわかる。

■金3個、ラピスラズリ5個

ちょっと不明だが金糸を編んで作ったと思われる。

■紐1本

中央部の左右で14組の玉の部分であるが、左右のいちばんの下の部品を2個を参考にするとこれらは表と裏の関係に近く見える。これらから想像すると真珠は玉1個あたり8個埋め込まれているのではないか。計28個なので真珠はこの8倍の224個この部分では使われていることになる。

■金28個、真珠224個?

下部については、まず中央部の赤色オパールの周りの真珠は、24個。左右の端のラピスラズリの周りに10個づつと端に1個で計22個で合計46個となり、玉の部分で予想した224個と合わせると270個もの真珠が使われていることになる。

■金2個、赤色オパール1個、トルマリン1個、ラピスラズリ4個(1個は失われているので実際は3個)、真珠46個

蛇足になってしまうが、失われた左下部のラピスラズリを右側から複製して復元してみた。

再構成した画像はここ

 

【6/1/2006】Thursday

宮城県多賀城市の東北歴史博物館で
「シルクロードの国宝 中国 美の十字路展」が6月18日まで開催されている。

 

実は、5月9日に旅行会社が募集したバスツアーで一度訪れているのだが、どうしても隋の時代の李静訓(りせいくん Li Jingxun )というお姫さまのお墓から出土した首飾りが忘れられず、もう本物を近くで見る機会は無いんじゃないだろうかと思うとたまらなくなり、昨日また往復370キロをかけて車で多賀城市まで行ってきた。

Li Jingxun necklace

ありのままに美しい。

1957年陜西省西安市西郊から出土したもの。
会場の説明プレートには次のようにあった。

一級文物

ネックレス
金、赤色オパール、ラピスラズリ、トルマリン、真珠など
陝西省西安市西郊李静訓墓出土 608年(隋)
北京市 中国国家博物館

9歳でこの世を去った李静訓の墓から出土。様々な宝石と金を精緻に組み合わせ、隋の皇室に連なる少女を飾るに相応しい華麗な宝飾品である。

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